非現実の現実


私はもう、きっと感じている。

何かを理解し始めてる。でも私の頭はそれを否定する。

きっと、きっとそれは私の中に「不完全」としての「完全」が存在するからだろう。

私の考えはピカピカ光りながら、体の中の線路を通り駆け巡る。それに沿って、私は指を体に這わせる。


「『不完全』の『完全』」組んだ手のひとさし指で手の甲をとんとん、とたたきながら、彼は言った。

「そう。メタファー」

「メタファー?
  海辺のカフカ?」

「あ、ユウキも見たの。」

「メタファー。隠喩のことだね。」

動く指が、ひとさし指からなか指に変わった。
けれどリズムが狂うことは無く、なか指も、ひとさし指と同じようにアンダンテを保っている。

「それで つづきは」彼の前髪が、左右に揺れる。それに見とれていた私は、声をかけられ焦ってしまう。


女として生まれた私の体は、外見上丸びを帯びている。

でも、それに触れると、実に直線であることがきっと誰にでも理解できるだろう。

そう、つまり―   私は一本のつなわたりをしているのだと思う。

「それは多分・・・ 色んなことで、だね」

私はうなずく。そして、続ける。


人と付き合う上で大切なものは、共通のシュミと信頼と、あと、妥協。

私は、体力的にも精神的にも、本質的にも妥協することに長けていないんだ。

それは充分、解かってる。もっと丸くなった方がいい、ってことも重々解かってる。

でも、私は、

「僕はそういうものを適当に笑い飛ばしてやりすごしてしまうことができない。」

みごとに、声が重なる。

彼の、男にしては比較的高い、すきとおった声が私の声にスキマなく浸透してゆく。

その風景があまりにも恐ろしく奇麗で、私はめまいを覚え、よろめき、差し出されたユウキの腕にしがみつく。

「ユウキ、私は解かってるの」

私は、解かってる。変わらなければ、何も変わらないこと。

でも私は、変われないこと。

そこには自我に混じって時間と変化が伴うから、私はその術を持てないこと。

みんなより早い鼓動が、ますます早くなってゆく。

私は、そんな自分を隠すフリをしながら、いつも何気なくその蓋をはずそうとする。

それも、難解な方法で。私はいつも、解けない方程式を相手に押し付けながら、落胆する。

笑みのこぼれる口元と、遠くを見る目と、堕ちた頭。

そう、作った本人である私にですら解けない。

簡単な方程式など、私の中に存在しない。


「世の中の人はね、"本質"という言葉に疎いんだ」

「本質」

「平和や愛、基準だのを訴える者ほど、その言葉の無謀さに気づかない。
 逆に、武力を訴える者は命の重さに気づかない」

「本質を訴える者は、本質さに欠ける」

「そう。メタファーだ。でも」

彼の視線が、私の視線と重なって、飽和する。

「 でも」

「君は、それに気づいている。」

「そうかな、」

「君なら、わかるはずだよ。」

そう、私は解かっている。

「私は、きっと今の環境が嫌いなんだと思う、」

彼の耳を見ながら、私は言う。

なぜ、耳が目に入ったのか解からないけれど、彼の耳は綺麗にそこに居座っていた。それは確かだった。


「人間が?家が?立場が?地位が?歳、家族、土地、話す言葉、肌の色?」

「今、私が置かれている状況そのもの」

「状況」

「本質って言葉を使うと、私は本質的に、日本人の女であることに変わりないでしょ?」

「そうだね」

「それは良いのよ、でもね、今私に課せられている状況そのものが嫌なの、ものすごく」

状況、と言った後、もう一度その言葉の輪郭を縁取るように、彼は息だけの声で状況、とかたどった。

「ねえ ユウキ
  私は、それでも求めてしまうのよ」

「知っているよ。」

ユウキの手が、私の頬に触れる。細く、白く長い指。

それらが私を呑み込んでゆく。


愛しい人、モノ 愛しい友人 変わらぬ想い 少しの強さ
使い古された楽譜、ピアノ、ヴァイオリン
甘いフルーツ 水 言葉


挙げたらきりが無い。

「そう、でも、君は」

彼の片方の手が、私の前髪を優しくかきあげる。

その手つきは、まるでガラスの人形を扱っているかのように、細く、脆い。

「君が一番望んでいるのは、『変わらない』ことだね」

私はうなずく。ここで首を横に振ったら、きっと私は私でなくなってしまうから。

皆、変わってく。仕方の無いことだけど、なぜ、

こんなにも私の中の時計と外の時計との進み方に差があるのだろう。

なぜ、皆はそんなに変われるのだろう。

「僕は、変わらない」

彼はそう言って、私に白いキスを落とした。

「メタファー」

「そう、メタファー。」

ああ、もうダメだ。そう思った瞬間、私の目から溢れ出した雫が、彼のTシャツに吸い込まれていった。

「違う、違うわ、ユウキは変わらないんじゃない、変われないのよ」

耳元で、ユウキの息遣いがかすかにきこえてくる。

相変わらずアンダンテの、ゆっくりとした気持ちのいいリズム。

「私が居るから」

「君はもう、解かっているね」

私は、おでこをユウキの胸元に当てるようにしてうなずく。

「僕自身、メタファーだということを」

私は、解かりすぎる。

「君は、解かりすぎる。」

だから、

「君は苦しむんだ。」

私は苦しんでいる。

「お願いだから、消えないで」

私は、意のままそれを言ってしまう。

そう言って、何度ユウキを引き止めたか知れない。

私は、なんて、恐ろしいことをしているんだろう。

「僕は、そんなすぐに消えたりしないよ。
     だから、今日はもう おやすみ?」

私は、横になって、ユウキの顔を見つめる。

とても優しい顔。

でも、これもメタファーであることを、私は解かってしまっている。

静かに目を閉じていく中、ユウキがまだそばに居ることを確かめる。

でも、私は知っている。

彼は、日々消える準備を整えている。

彼はやがて、消えなくてはならない。


一人で大丈夫、と言う私は、いつもユウキやユウキ以外の何かに掴まりながらつなわたりをしている。

私の、掴まるものがどんどん消えてゆく。

解かってる。私は解かってる。まだ、ユウキは隣に居る。

私は解かってる。

私は、私の中の私であることを、解かっている。



06/04/11



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