青の風化



「忘れることって、どう思う」

私は彼に問いかけた。

本当に私は、自己解決、という言葉に程遠い人間だと思う。

彼は、あまりに整いすぎた銀色の髪の毛を見せつけるように揺らし、長い長い睫を瞬かせて言った。


「それにしたって、シュルイがあるんじゃないの?」

「種類」

私はひじをつき、彼のうしろに見える景色を想った。5メートル、10メートル先ではなく、1000キロ、2000キロ先の風景。

「全員には伴わない『忘れ』」

「ナニ?お前ってそんなに存在感ナイの?」

「私は優斗とは違いますから」

優斗はおまけ程度に笑い、それから私のずっと後ろを見つめた。

「ちなみに俺は、

 俺は自分にまつわることは忘れたことがない」

「たとえば、あの子とか、ね」


「要は・・自分や他人の中の基準が風化して、何かを取り残すような」

彼は足を組みなおした。クォーターだからもあるだろうけど、そのスタイルの良さには毎度圧倒されてしまう。

「あまりに抽象的な例え」

「あら、さすがの優斗様もわからないんだ」

彼はその白い腕を組んで、目を伏せた。

「俺は、お前みたいな奴の幼稚な挑発になんてのらないけどさぁ、仕方ないんだよな、俺メタファーだから」

私は体の中で必死に『余裕』を生み出し、それを体中に循環させながら言う。

「わかってらっしゃる」


「世の中の不平等ってのは、こういうコトだろうと思うよ」

彼は無表情で窓の外を見つめている。

「君たちは、私が生み出したメタファーだからね」

「でも、俺たちがここで、こうして生きていることは?」

「それは、まぎれもない、事実よ」

窓の外では、青い空に大きな雲がぽっかり穴をあけたように居座っている。

「ただ、私がここを忘れてしまったら」

彼は女のモノのようなその指をいかにも高級そうなブレスレットに這わせ、うつろな瞳を伏せた。

「そうしたら、俺たちは 止まる?」

「たぶんね」

小さな小さなため息をついて、彼は言った。

「そこに確証はない。しかし・・それがテーゼなら、アンチテーゼにも確証はない。」

「そう、否定要素が、私たちには、ない。」

「否定、要素。」

一言ひとことを味わうように、彼はゆっくりと丁寧にそれを繰り返した。


「話を戻そうか。優斗も・・・決して他人事ではないのが解ったでしょう」

優斗の、いかにも高そうな時計が、キラリと光る。

「キジュンが風化して、何かを取り残す」

私は一呼吸置いてから、言った。「実は」

「実は、自分でもよくわかってない」

彼はまんがのように首をふって、手をあげてみせた。

「そりゃ、また難解な」

爪の、限りない先端の先端を見つめながら、私は考える。難解なのに答えを求めてしまう、その原理を。

「もう、いやになるくらい、厄介よ。」

彼の、小さな笑い声が私の頭を通り過ぎていった。俯く私と、彼の笑い声はあまりに不釣合いだ。

彼は、当たり前というように、言った。だからこそ知りたいんだろ。


たとえば、彼という基準を定めたとき、私が何を思ったか、考えてみる。

ドイツ人のハーフ。シルバーの髪。美形。オセロ。二面性。成績優秀。

「それはさ、ある意味 願望だろ」

私は目を閉じて考える。

こうではどうだろう。

優斗は、やはりメタファーの中のメタファーにすぎないことは確かで、その上に『彼女』が見えるのもまた、確かなことだと思う。いや、そうに違いない。

『彼女』の基準となると、果たして、それは私の願望なのだろうか。

『彼女』の上にはまたメタファーが存在し、その上にもまたメタファーは存在する。

そうなると、私の上にもメタファーが在るのかもしれない。

それは恐ろしく絶望的なことで、また同時に、避けることが出来ない、運命的なものなのかもしれない。

「世の中に、メタファーの存在しない人間は居ると思う?」

窓から、微かな音が聞こえてくる。とても小さく、でも確かにフレームを揺らしてそれを伝える。

竹屋、竿竹。なんて、この場にそぐわない、生活感あふれる音はこの非現実を現実にしていく。

私のメタファーであるこの場所が普通になり、同化し、私は私のメタファーになる。


「それはまた、どういう」

「私は、全ての人間は、メタファーであるような気がする」

「人間はメタファー」

私はうなずく変わりに、窓の外を見つめた。

「テーゼとアンチテーゼ」

彼のため息が聞こえる。彼のそれはこの部屋にじわじわと音を立てながら、空気に馴染んでいく。

「ヒテイヨウソはない、か」

「ねえ 優斗」

『優斗』という言葉は、彼の脊髄を通って頭へと渡り、信号を発する。

時間は計れない。瞬間だ。それすら、私には手にとるように解ってしまう。

彼の瞳は真っ直ぐこちらを向いてしまう。

私は視線を外さず、彼の視線を受け止める。

陽の光を反射する瞳は、その光を私に分け与える。でもきっと、その光はとても有害。

「なに」

「きっと、風化した基準は 無意識のうちに、人を殺すんだわ」

一度下ってしまった太陽は留まるところを知らず、どんどん下降してゆく。太陽は黒い地平線に隠れていく。

「人を殺す」

「そう。意識の中でね。」

「肉体的な死でもない。ましてや、精神的な死でも、ない」

「ついでにきっと、本人の自覚も、ない。」

太陽が隠れてく。黒い世界に、呑み込まれていく。

「でも、結果、苦痛を負わせることがある。
 そうだろ」

彼は陽の光を溜めたその瞳をやっぱり、私の瞳に向けて、言った。

私は思わず目をそらす。すると彼は立ち上がり、私の目を見据える。

急いで、私はまた目をそらす。彼は私の腕をつかみ、私の目を自分の方へ向けようとする。

その手を振りほどこうにも、彼が男である以上無駄なのは解ってる。―太陽が、消える。

「今、雨が降ってくれたらいいのに」

そう私が言えば、雨が降り注ぐ。

私達の居るところへ、屋根を通り越して雨はやってきて、私達の頬を濡らしてゆく。

私の瞳から流れたモノは雨と混じって、地面から地下へと沈んでいった。

彼はまっすぐに私をみつめる。

「優斗」

私は彼の髪の毛を指で弄びながら、問うた。

「優斗は、自分が優斗であること 嬉しいと思う?」

彼はつかんだ手を瞬間的に離した後、なにやらほっとした顔をして、

「もちろん」

と言った。その言葉に私はひどく安堵し、握り締めていた手をほどくと一気に力を抜いた。

「よかった」

私がよろめきながら立ち上がると、イスが小さな悲鳴をあげた。

「『彼女』を大事にして」

「―もちろん」

スっと、何か私の中の重いものが下りていく。やっと微笑んで、私は言う。

「私は忘れない、風化させない」

彼の手が、私の頭にのせられる。

「それに、ヒテイヨウソはない。」

彼の声が聞こえる。


私は目を閉じる。



06/04/11



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